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自分の外側の荷物を降ろすことで、もっと身軽に生きれるのかもしれない

身軽になって生きてみる

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最近(と言っても少し前までだけど)、「お金とか地位とか名誉」を得ようとする心を捨てれたら、それが幸せかどうかは分からないけど、生きることに対して少しは身軽になるのではないか。

こんなことばっかりを、頭の中でエンドレスで考えていた。

 

頭の中であーでもないこーでもないと悶々と悩みに悩んだあげく、最終的には「地位とか名誉とかは多分捨てれるけど、必要最低限のお金は必要!」という何とももっともな答えが自分の中に残ることになった。

 

 

気にしてないようで気にしている、自分勝手に

 

私は現在フリーターである。

毎月の収入は自分1人が生きるには足りている程度という、世間的に見ていわゆる「普通のフリーター」ような生活をしている。

若干の面白ポイントとして、20万キロ以上走っている自分の車を持っている。(会社員時代の遺産)

 

とまぁここまで書いたけれど、別に自己紹介がしたいわけではない。

別に興味のある方もいないと思う。(奇跡的にいらっしゃったらありがとうございます!)

 

「ふーんフリーターなの。あっそう。」と思ったあなた。

私は言いたかったのは、要はそういうことである。

別に他人は自分のことなんて、大して興味が無いんだよってことである。

 

色んなことを1人で悶々と悩んだおかけで、ここ半年くらいでようやく、自分と他人を比べるということをしなくて済むようになってきた。

ただここでひとつ思ったことは、勝手に自分が他人と自分を比べていただけで、元々他人は自分のことなんて興味がなかったんだな、ということである。

 

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身軽になるための考え方

 

「お金とか地位とか名誉とか、得ようとする心を捨てると心が身軽になる」

 

大事なことは、自分の中にあるものを求める、ということなんだと思う。

自分の外側(地位とか名誉とか)を求めるから、他人と比較したり勝手自分で自分を気にしたりするのだと思う。

自分の外側にあるものではなくて、自分の内側にあるものを求めるということ。

外側ではなくて、内側にあるものに忠実に答えを出すことが大事なことだと思う。

 

比較するべき相手は他人ではなくて、自分の中の「まだ見ぬ理想の自分」なのだから。

 

 

よそはよそ。うちはうち。

 

関西で育った方なら、一度は聞いたことのある台詞だと思う。 (他にも子供の頃によく聞いた台詞は、「あんたなんて淀川(宇治川)で拾ってきた」そして、「そんなん言うんやったら〇〇ちゃんとこの子になってき!」である)

結局、この「よそはよそ。うちはうち。」の考え方をどこまで信頼出来るか、ということのような気がする。

 

「他人は他人だ。自分は自分なんだから。」

こう心から思えることが、自分が生きていくことの安心感につながると思う。

ただやっかいなのは、この安心感は常に安定して自分の中にいないということだ。

気がつくとすぐどっかに行ってしまっている。(ただ単に忘れているだけの可能性もあるということにようやく最近気付いたので、こうやって文章に残すことにしました!笑)

そしてその度に、また悶々と悩む時間が始まるのである。

 

結局いつも悩んで悩んだ先に、「自分はこうなんだよな、そうだよな」と、また新しい自分を見つけることになる。

これの繰り返しだなぁと思う。

 

 

今の自分が楽しむこと

 

別に私は哲学者になりたいわけでもないし、「人生のなんたるか」みたいなことを見つけようという興味もない。

ハマったことはコツコツと続けられるが、それ以外のことに対しての集中力は恐ろしく散漫である。

 

私が自分の外側を気にしているときは、要は「今の自分にハマれていない」ということだろう。

自分で自分を楽しませていれてないのである。

幸か不幸か、私は元々、将来や未来といった自分の先のことを考えるのが苦手である。

ていうかほぼ出来ない。

大学の4年間ですら無理だった。

自分の外側を気にする暇のないくらい、今の自分にスポットライトを当てて、自分自身を楽しませていこうと思う。

 

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