やりたいことだけやる
「やりたいことをやる」
私の今の生き方において、非常に大きな意味を持つフレーズです。
「やりたいことをやって生きていく」
「やりたいことだけやって生きていく」
人生という海図の無い大海原を航海していく為の、唯一の羅針盤のようなものです。
「私の人生」において、「他人の人生」や「他人の生き方」というものは、それはあくまで他人の所有物に過ぎません。
自分の物になることも無ければ、比較したり当てはめるものでもないのです。
「私の人生」と「他人の人生」をどれだけ切り離して考えられるか。
それが自分の人生を生きていくということなのではないかと思います。
やりたいことだけ
「やりたいことだけやって生きていく」
こう決意するにはとても大きなエネルギーが必要だと私は感じます。
エネルギー。
別の表現では勇気とも言います。
私自身こう決意できたのは最近で、それも27年生きてきた人生でおそらく初めて精神的におかしくなり始めて、自分の精神をそれから防衛するための決意でありました。
要は偶然の産物というわけです。
決してやりたいことではなくても、生活の為であったりもう慣れているので何となくでそれが出来てしまっている場合、そこから動こうとする人はほとんどいないのだと思います。
昔の自分がそうだったように。
一度自分の中の何かがおかしくなって、「もう二度とおかしくなるのはごめんだ!」と本当に考えて、そこで初めて「自分の人生においては自分がやりたいことだけやるべきだ」という考えにたどり着くことが出来ました。
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やりたくないこと
「やりたいことだけやる」それと同時に、
「やりたくないことはやらない」という決意も必要です。
自分がやりたくないことはやらないんだ!というルールの中に自分自身を置くことによって、自分の人生の新たな扉がひとつ開かれるのだと思います。
やりたくないことをやってはいけません。
やりたくないことを受け入れてはなりません。
最初は拒否感があっても、次第に心や感情は麻痺してきます。
ただそれは決して「仕事」に慣れているのではありません。
心が「痛み」に慣れてしまっているだけなのです。
やりたくないことを受け入れないと決意することは、それと同時に「自分の人生を生きる」という決意の第一歩なのです。
最後に・・・
あと10年もあればロボットやAIが本格的に人間の代わりに働きだすでしょうから、いずれにせよ私達人間はやりたいことをやるしかないという未来が訪れるということです。
やりたくないことを仕事だからと淡々とこなしている人の市場価値は、ロボットや人工知能のそれ以下になることでしょう。
やりたいことをやる為に、やりたくないことをやらない。
こういったわがままを持つということ自体が、私達がロボットではなく人間として生きているという証なのです。
徹底的にわがままに生きましょう。
それでこそ自分の人生なのです。
やりたくないことをやらない。