努力っている?いらない?
こんにちは。
いきなりですが、あなたは努力をしていますか?
何かに向かってコツコツと努力していますか?
私は3月で前の職場を辞めてから、努力することをやめました。
仕事と努力の両方から、自ら身を引くことにしました。
生活費は必要なのでバイトはしてますけどね。
なぜかと言うと、「努力」っていらないと思うのです。
努力と思っている時点で負けですよね。
他のことをした方が良いと思います。
外から見た他人が、「あいつ努力してるなー」と評価することはあるでしょう。
でも自分でする努力は、努力ではないと思います。
それってただの我慢ですよね。
今回のテーマは「努力は不要」です。
努力という言葉について、私が感じることを書いていきます。
努力=我慢?
たまに自分で、「努力してます!」って言う人もいます。
でもそういう人が言う「努力」からは、どうも我慢に似たニュアンスを感じてしまうのです。
「努力って言うけど、それただの我慢じゃん!」
いつもこうやって返事をするようにしています。
(今のところこれが原因で友達は失っていないので、皆さんも是非真似してみてはいかが?笑)
我慢することが努力ではありませんよね。
ですが「自分で意識的にする努力」というものは、どうも我慢に似ている気がします。
だってそう言う人は、ほんとは努力したくないんでしょ。
じゃあそれって我慢ですよね。
正確には、「我慢しながら努力している」という状態だと思います。
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努力と感じない努力を
やっぱり我慢するのってしんどいじゃないですか。
私だって出来れば我慢はしたくないです。
お腹空いたらカレーライスいっぱい食べたいし、眠くなったら昼寝したいし、その時の気分でふらっと旅に出たりしたいのです。
「我慢してする努力」はしんどいですよ。
続かないと思います。
続いたとしても努力の効果が薄くなります。
努力と感じない努力をするべきです。
我慢ではなく、好きなことに夢中になった結果、客観的にそれを見て「努力」と他人が言うのです。
子供の頃なんて、新しいゲームなんて買ってもらったら、それこそ夢中になって夜中でも1日中やってたじゃないですか。
これを「努力してゲームした」とは言えないでしょう?
努力は必要ではありません。
必要なことは、好きなことに夢中になることなのです。
悩んでいたことの正解って実はすごくシンプルだったりします。
努力と感じることはしない
「努力と感じることはしない」
こうやって考えてみるのも一つの方法です。
自分がそれを努力と感じるようであれば、いずれはそれが我慢に変わります。
努力じゃあ勝てないですよ。
好きで好きで、ただひたすら夢中になっている人もいるんですから。
もしもあなたが1日15時間くらい努力できるなら勝てるかもしれません。
「上には上がいる」
どんな世界でもそうだと思います。
これを忘れてはいけません。
「努力するから勝てる」ではなくて、「自分が勝てる場所で戦い続けた人が勝てる」ということではないしょうか。
努力している暇があるなら、好きなことに夢中になりましょう。