史実から見た騰将軍とは…?
こんにちは!
今回は「キングダムの騰」がテーマです!
マンガでは戦でも戦以外でも大活躍のナイスキャラな騰将軍です。
そんな騰ですが、史実ではどうだったのでしょうか。
史実から見た騰将軍を書いていきます!
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王騎の副官では無かった!
まずマンガの中では王騎の副官として登場する騰です。
ですが史実では王騎の副官だったという事実はありませんでした。
王騎の副官というのは、マンガの中での設定ということですね。
そもそも騰は元々は韓の将軍だったようです。
年代はいつかは分かりませんが、韓から降って秦の将軍になりました。
戦の中でなのかヘッドハンティングなのかは分かりませんが、秦でも将軍を任されていたということはそれだけの実力があったということなのでしょうね。
韓を滅ぼした騰将軍
紀元前230年、騰将軍率いる10万の秦軍が韓に攻め入り韓を滅ぼしています。
マンガで連載されているギョウ攻めの戦いが紀元前236年の戦いだと思われますので、それから6年後の出来事になりますね。
ちなみにその前年の紀元前231年に、韓からゆずられた南陽という地の群守になっています。
群守とはその群における長官です。
ようするに一番偉い人です!(笑)
韓攻めにおいて、かなり重要なポジションにいます。
それだけ始皇帝(政)からの信頼も厚かったようですね。
韓攻略後の騰将軍は?
紀元前229年、楚の攻略のため南群の群守になる。
南群は楚に接していた地域のはずです。
大国楚の攻略のために南群の群守になるということは、やはりそれだけの実力があったということですね。
その後紀元前225年に信と蒙恬が楚に攻め込み大敗、紀元前223年に王センが楚を滅ぼしています。
紀元前227年、法を厳格に執行するため群に文章を発布し法を行き渡らせた。
これは南群だけの話なのか、その当時の秦国内全ての話なのかどうかは分かりません。
戦の実力だけでなく、地域を収める政治の能力も高かったということでしょうか。
紀元前221年、秦が中華統一後、騰は内史に任命される。
紀元前221年に斉を滅ぼし秦は中華統一を成し遂げています。
内史とは首都近辺の長官です。
つまり秦で言うと、咸陽近辺の長官になります。
そして騰はその年のうちに亡くなったようです。
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さいごに…!
中華統一後も、首都近辺の長官の職である内史に任命されています。
政からの信頼も厚かったようですね。
韓を滅ぼしたり、敵国との最前線の群守に任命されたりと、戦の能力も高かったようです。
史実から推測すると、戦に政治に能力の高い武将だったようです。
もちろん王騎の副官というのはマンガの設定です。
特徴的なファルファルもマンガの演出ですね。
これから中華統一に向けて、韓を滅ぼすという話もマンガで描かれることだと思います。
騰将軍のファルファルシーンがまだまだ見れそうですね!
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