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【キングダム史実】楊端和は山の女王では無かった!?

史実から見た楊端和

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こんにちは!

今回はキングダムの「楊端和」がテーマです。

 

マンガの中では、西に住む山の民たちの女王となっています。

では実際の史実ではどうだったのでしょうか。

それを書いていきたいと思います!

 

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秦の将軍、楊端和の史実

 

史実では楊端和は秦の将軍のひとりです。

他国の将軍であったとか、女性であったという記録は残っていません。

時代背景を考えても、性別は男性であると考えるのが妥当だと思います。

 

史実では3回大きな戦いで名前が出てきます。

・紀元前238年、衍氏の戦い(対魏)

・紀元前236年、ギョウの戦い(対趙)

・紀元前229年、邯鄲の戦い(対趙)

この3つの戦いになります。

 

・紀元前238年、衍氏の戦い(対魏)

衍氏の戦いについては、キングダム40巻にダイジェスト的にですが載っています。

政の加冠の儀の後に、楊端和が衍氏の城を攻め落として信らが援軍に駆けつけていますね。

ここで各国に山の民が秦軍として戦うことは知られることになります。

 

・紀元前236年、ギョウの戦い(対趙)

こちらは46巻から始まった戦いですね。

史実でもマンガと同じく、王セン・桓騎と共に楊端和が戦ったとあります。

 

・紀元前229年、邯鄲の戦い(対趙)

この年に楊端和が軍を率いて邯鄲を包囲したとあります。

李牧は王センの策によってこの年で亡くなり、翌年の紀元前228年についに趙は滅ぶことになります。

 

 

なぜ楊端和は山の女王になったのか

 

史実から見た楊端和は、山の民の女王ではなく、秦の将軍のひとりでした。

ではなぜ楊端和は山の民の女王になったのでしょうか。

もちろん正解は作者の原先生にしか分からないことなので、あくまで私の推測になります。

 

まず史実で楊端和の名前が出てくるのが、衍氏の戦いからです。

なのでそれ以前の戦いに参加させる時に、オリジナルの設定がしやすかったのではないかと思います。

合従軍の戦いでも、史実には楊端和の名前は出てきません。

史実での登場が無い以上、山の民の女王というオリジナルの設定で参加させるのに都合がいいと考えることもできます。

 

また「楊端和」という名前の響きも、中性的ですよね。

史実通りにいけばマンガの登場人物は男だけになってしまいます。

画的なバランスもあるのでしょうかね。

女性という設定を作りやすい名前の将軍なのでは、と私は思います。

 

もちろんこれは全て推測です。

今後もしマンガが最終回を迎えた後などに、作者の原先生からキングダムの裏話も聞けるのかもしれませんね!

 

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おわり!

 

キングダム、史実から見た「楊端和」は以上になります!

 

マンガでは強い女王として、かなり人気のキャラの楊端和です。

まだまだ史実でも趙との戦いで名前が出てきます。

楊端和や山の民たちの活躍も見れると思います。

もちろん趙の戦いの後も、秦の軍として戦う姿が見れるかもしれません。

 

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